「芸能界を目指すなら10代から」
こういった固定概念をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか。
確かに、芸能界を目指すなら早ければ早いほど良いと言われています。
若いうちにより多くの経験を積むことで、可能性が無限大に広がるからです。
しかし、何事においても「遅すぎる」ということはありません。
かの有名な「カーネル・サンダース」は、65歳で「ケンタッキー・フライド・チキン」を創業。
日清食品の創業者「安藤百福(あんどう ももふく)」も、無一文であった48歳のときに世界初となる即席めん「チキンラーメン」を開発しました。
このように「遅咲きの成功者」は世界にたくさん存在するのです。
そこで今回は、30歳以降に歌手デビュー(メジャーデビュー)をした「遅咲きの有名歌手」をまとめました。
挑戦することに迷っている方々の後押しになれば幸いです。
目 次
秋元順子(58歳でメジャーデビュー)
61歳6ヶ月で「NHK紅白歌合戦」に初出場した秋元順子。
高校卒業後は石油会社で働きながら、ハワイアンバンドで音楽活動を行なうも、結婚を機に主婦業に専念。
徳間ジャパンから「インディーズ」として初めてCDを発売したのは57歳のときだった。
その後、58歳でキングレコードから「メジャーデビュー」し、わずか3年でNHK紅白歌合戦に出場する。
中村美律子(36歳でメジャーデビュー)
30歳過ぎから「浪曲」を始め、36歳のときに「恋の肥後つばき」でメジャーデビューした、演歌歌手の中村美律子。
3曲目にリリースした「河内おとこ節」が大ヒットしたことで、42歳のときに「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たす。
それ以降は15回以上も紅白の舞台に立ち、演歌界の重鎮として地位を確立する。
福田こうへい(36歳でメジャーデビュー)
23歳から「民謡」を習い始めた福田こうへい。
呉服店で営業マンをしていたが脱サラし、36歳のときにキングレコードから「南部蝉しぐれ」でメジャーデビューを果たす。
NHK紅白歌合戦に出場したのは、脱サラしてわずか1年の「37歳」のときのこと。
木山裕策(39歳でメジャーデビュー)
36歳のときに「甲状腺ガン」を宣告され、医師から「手術後に声が出なくなる危険がある」と告げられた木山裕策(きやま ゆうさく)。
そのときに、長年の夢だった歌手への挑戦を決意し、日本テレビのオーディション番組「歌スタ!!」に出演する。
結果は「不合格」だったものの、「子どもたちに最後まであきらめない姿を見せたい」と異例の再挑戦を経て、39歳のときに歌手デビューが実現。
家族をテーマにした楽曲「home」は大反響を呼び、同年の「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たす。
綾戸千絵(40歳でメジャーデビュー)
46歳で「NHK紅白歌合戦」に初出場したジャズシンガー・綾戸智恵(あやど ちえ)。
幼少期から個人で音楽活動はしていたものの、メジャーデビューが実現したのは40歳のとき。
身長147センチ・体重40キロにも満たない大阪出身の主婦シンガーとして、鮮烈なデビューを飾った。
スガシカオ(31歳でメジャーデビュー)
SMAP初のミリオンセラー「夜空ノムコウ」を作詞したことでも有名なスガシカオ(本名:菅 止戈男)。
大学卒業後は制作会社(広告代理店)でサラリーマンとして働き、4年間の勤務を経て脱サラ。
その後、歌手の道を目指して芸能事務所に所属し、31歳のときに「ヒットチャートをかけぬけろ」でメジャーデビューを果たす。
初めて「NHK紅白歌合戦」に出場したのは40歳のとき。
大泉逸郎(57歳でメジャーデビュー)
山形県出身、本業はサクランボ農家の大泉逸郎(おおいずみ いつろう)。
大泉逸郎が「新人歌手」としてメジャーデビューしたのは57歳のときで、自身の孫をモチーフにした歌「孫」がテイチクから発売されたことを機にブレイクする。
NHK紅白歌合戦には58歳で出場し、当時の白組歌手の「最年長初出場記録」を樹立した。
スキャットマン・ジョン(52歳でメジャーデビュー)
アメリカのカリフォルニア州出身で、52歳にメジャーデビューを果たしたスキャットマン・ジョン。
彼のデビュー曲「スキャットマン」が収録されているアルバムは、全世界で600万枚以上売り上げる大ヒットとなり、日本でも一大ブームを巻き起こした。
スーザン・ボイル(47歳でメジャーデビュー)
47歳のときに、イギリスのオーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」に出演し歌手デビューを果たした「スーザン・ボイル」。
同年12月には「NHK紅白歌合戦」にもゲスト出演をするほど、世界に名を轟かせた。
47歳の「普通のおばさん」が一躍スターダムにのし上がった姿は、同世代に大きな夢と希望を与えた。
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